1 月 19

今まで何度もこのブログでも辞める辞めないを繰り返してきましたが、ノキアを辞めることをついに決意しました。いつ辞めるかどうかのタイミングはまだわかりませんが、200人のレイオフで社内でのオープンポジションがない今、辞めることは今度こそ確実です。

理由はやっぱりマネージャーとうまくやっていくことができないからです。

この人は自分の思ったとおりにしか部下に仕事をさせない、でも自分自身はプロフェッショナルではないので理不尽なことをやらせるんです。そしてもっともな意見を言うとすぐにキレるw(プライドが強烈に高いんだろうなぁ)。”I’m the boss and that’s how you’re going to do your job.(私はあなたのボスなのだからただ言ったとおりにやればいいの)”とか言うし。僕の常識の中ではこんな発言ありえない・・・。ここまで言われるともう呆れるしかないですね。

先週の月曜日に仕事のやり方について2時間ほど口論みたいなことをしました。そして金曜日は5時からのミーティングの約束に6時になっても来なく、何度電話しても出ないし7時から予定があったのでテキストメッセージを残して帰ったらあとで怒りの電話が・・・。うーん。

そんな人だから僕の前にいた2人のソフトウェア開発者もすぐに辞めてしまったわけです。僕が3人目で前の2人と比べたらぜんぜん長くがんばったのだから、もう充分だと考えることにしました。3人目が辞めることで彼女も少しは何かを学んでくれるといいと思うのですが・・・。

今朝、9時にミーティングの約束だったのでその時に言おうと思っていたのですが、このときも彼女は来なかったのでメールで「この環境で働くことは自分には難しい。あなたにとって自分が不適任だと思うのであれば誰か他の人を探してください。」という意味のことを伝えておきました。彼女からどういう返事がくるかなどはもう今更どうでも良いので、いつ辞めることになるのかだけ早く知りたいです。

すでにノキアで910時間以上働いたためEI(失業保険)の受給資格があるようなので(会社を持ってても額が少なくなるけど貰えるみたいです)、仮に仕事がしばらく見つからなかったとしてもとりあえずしばらく生活には問題がなさそうです。この間に自分の会社の事業の準備を進めていければと思ってます。失業保険の手当てをもらいながらパートタイムで仕事もできるみたいです。弱者に優しいカナダ、いつも高い税金を払っているので時にはこういうベネフィットを受けるのもありでしょう。


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1 月 17

最近、バンクーバーのダウンタウンに行くたびに車を停めることができず、ストレスを感じます。

僕がこっちで車に乗るようになったのは4年前。たった4年前の当時と比べても、車の量は圧倒的に増えたと感じています。昔からいる人に聞けば、やはりもっともっと車は少なく、運転によるストレスは全然少なかったそうです。

カナダの人口増加率はG8中トップだそうです。その理由はやはり、移民の受け入れです。

過去5年間でカナダは120万人の移民受け入れをしました(僕もその一人になります)。そして、その移民のうちかなりの数がバンクーバー周辺に移住しているみたいです。

国勢調査によると、カナダの人口は過去5年間で5.4パーセント増に当たる160万人が増加したそうです。(ちなみに日本の同時期の人口増加率はほぼ0パーセント)

そして、カナダは今後も移民受け入れを積極的に行います。また、BC州(おもにバンクーバー周辺)ではオリンピックに向けワークパーミットも大量に発行しています。

オリンピックが終わればバンクーバーは知名度が増し、さらに多くの移民たちがバンクーバー周辺に移住してくると考えられています。10年後にはバンクーバーは500万人都市になっているかもしれません。(現在バンクーバーとその周辺都市全体の人口は200万人程度)

カナダが移民政策を取る以上、人口増加は仕方のないことですが(自分も移民してきたわけだしカナダという国自体がそれで発展しているので)、街がそれにちゃんと対応してくれていないので先が不安になります。フレイザーリバーにかかるファルコンブリッジや、リッチモンドを走る予定のスカイトレインも予算が取れずに工事が停滞しているみたいだし・・・。

やっぱ早いうちに家を買っちゃった方がいいのだろうか・・・。もっと不動産価格下がらないかなぁ・・・。


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1 月 15

カナダ人の知り合いが、アメリカの企業に就職したなんて話をよく聞きます。

でも、アメリカってワークビザ(例えばH1Bビザ)を取得するのが今はとっても難しいはずなんです。(一昔前は永住権を含め比較的簡単だったみたいだけど)

カナダ人って、そんなに優秀な人材がいるんでしょうか?うーん、もちろんいるのでしょうが、普通に考えて僕は日本人の方が優秀な人(専門教育を受け実務経験のあるプロフェッショナル達)が全然多い気がします。言葉の問題を考えても人口も日本人の方が全然多いし。それでもカナダ人の方が多くアメリカに行ってる気がするのはなぜでしょう?

調べてみたら、アメリカのワークビザにはカナダ国籍を持っている人向けの短期間の就労ビザ(TNビザ)というものがあるみたいで、これはかなり簡単におりるみたいです。でも、これはあくまで短期間の就労ビザなので、期間も短いし、H1Bビザのようにそのあと永住権(グリーンカード)の申請などはできないみたいです。

このTNビザ、僕たちカナダ移民(カナダ国籍を持っていないが永住権を持っている)たちには出ないんでしょうか?

調べてみましたがカナダ国籍がないとやっぱりダメみたいです・・・。アメリカで一度働いてみたいなーと思っていただけに、残念。


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1 月 13

近所のSafewayで買い物をしていたら、ドレッシングとかソースのセクションで感じのいい白人夫婦が僕に「あなた日本人でしょ?テリヤキソースはどれを使ってる?」って聞いてきました。

この質問をされたのは今回で2度目なのですが、非常に困るんです。テリヤキがとにかく大好きな、JAPANESE TERIYAKIの大ファンといっても良い彼らに真実を伝えていいのかどうか・・・。

でも嘘はつけないので心を鬼にして伝えます。「えっとねぇ・・・、日本人はテリヤキソースなんてものはあんまり使わないんだよ、実は・・・」。

真実を伝えられた彼らの文字通り目を丸くした顔が今も頭に焼き付いて離れません・・・。


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1 月 10

Nokiaに入ってかれこれ7ヶ月がたちました。ノキアの僕の所属するデパートメントには70人位の人たちがいるのですが、仕事で関わりがあるなしに関わらず、ほとんど僕の名前を覚えてくれてます。

逆に僕はどうかというと、あまり仕事でかかわらない人だといまだに名前を覚えることができていません。顔はわかるんだけどなぁ・・・。70人のうちBobが4-5人いたり、MikeとかMikkaとかMikkoとかJyuryとかJyukiとか(この辺はフィンランドとか北欧系の名前)似たような名前が多くて、どれがどいつかまじでややこしいです。

Shinichiなんて彼らからしたらユニークだから逆に覚えやすいんだろうなー。そう考えると、比較的発音しやすい日本人の名前の場合イングリッシュネームなんて必要ないのかな、むしろ本当の日本名を使った方がメリットが大きいのではと思えてきます。韓国人とか中国人の名前の場合は似通ってたり発音が困難な名前が多いので必要だと思うけど。

※あまり日本人で英語名持ってる人を見かけないかもしれませんが、僕らより上の世代(バブルとかそれ以前の世代かな?)の日本人移民の人たちはかなりの人が持ってたりするんです。流行ってたんでしょうか?

でも確かに英語名を使うと便利な場面は多々あります。例えばレストランの予約の時とか、ポーカーで席を取ってもらう時とか、毎回スペル言うのがめんどくさいので英語名を使っちゃいます(僕は「しん」に英語的に発音が近い「Shane(シェイン)」をよく使ってます)。あとは二度と会わないだろうなって人にも面倒なときは英語名を言っちゃいます。

自分の名前をちゃんと発音してもらえない人とかはつらいかもしれないですねー。Shinichiの場合は大体ちゃんと「シニチ」って発音してくれますが、あるとき就職活動中に、アプライした会社の人事担当者から電話があったとき「シニンスキーさんいますか?」って言われたことがありますw。ロシア人じゃないんですけど・・・w。


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1 月 09

月曜の夜くらいからひいている風邪がなかなか治りません。

火曜の夜が一番ひどかったかなー。寒気がして本格的にこれはやばいと思いました。でも、友達に教えてもらったNeo Citranという飲み薬?のおかげで熱は下がりました。

このネオシトランを飲むと、体がすごく温まり、たくさん汗が出ます。ただでさえ汗っかきの僕は異常なくらいの汗をかいたため、一晩で翌日に洗濯が必要なくらい下着を取り換えました(キタネーw)。でも、おかげで熱はすぐに下がりました。

あとはのどの痛みと鼻のぐずぐずと体がだるいのが治ればってところなんですが、これらがしぶとく残ってます。

周りでも風邪をひいてる人がたくさんいて、どの人も結構長引いてて2週間ぐらい治らないという人もいるみたいです。明日頑張れば週末なので、できれば明日の朝起きたら完治しててほしいなー。辛い平日を過ごしたので週末は楽しく過ごしたいし。

ということでこれからネオシトラン飲んで寝ます。おやすみなさい。(ちなみにこの記事は8日夜に書いてますが9日朝8時に予約投稿してます)


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1 月 07

おとといの夜、寝る前からちょっと調子がおかしいなと思っていたら風邪をひいてたみたいです。

昨日の朝起きて気分が悪いので薬を飲んで会社に行ったら、おかげで一日中ぼーっとして仕事になりませんでした。仕方ないので4:30頃に早退。今までカナダで風邪なんてまともに引いたことがないので、風邪薬というものには全く面識がなし。友達におすすめ風邪薬を聞いてSafewayで買ってフラフラと帰りました。

食欲だけはいつも通りあったけど、かといって病人があまり普通にがつがつ食べてもどうなんだろうと思い、野菜スープだけ取りました。

今朝起きたらだいぶ良くなってましたが、仕事はどうしようかなー。休むか午後からいくか考え中です。

職場でもゴホゴホやってる人が何人かいました。風邪が流行ってるみたいなので皆さんもお気を付けください。


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1 月 06

終戦後、カナダ各地で強制収用されていた日系人は、日本へ帰国するかロッキー山脈の東へと移動するかの選択を迫られました。1947年にこの強制送還命令は取り消されますが、すでに財産を没収された多くの日系人達はパウエル街を去った後で、その後パウエル街に戻った日系人はわずかでした。

その後、パウエル街はだんだんさびれていき、現在に至ります。そして、その後カナダでパウエル街のような大きな日本人街が作られることはありませんでした。

カナダでのこの悲しい日系人達の歴史は、第二次大戦時に少女時代を過ごした日系カナダ人二世Joy Kogawaさんの著書”Obasan”に描かれています。この本は僕が初めて最後まで読んだカナダの書籍です。

この本の中にある桃太郎についての記述が印象的です。昔話「MOMOTARO」は日本の昔話ではなく、カナダの昔話なのだという場面があります。「私たちはカナディアン、だから私たちがすること話すことはカナディアン」なのだそうです。

そう、彼らはカナダ人なのです。カナダで生まれカナダ人として育ったのに日本人の血を引いていることで敵国人として差別されるというどうしようもない悲しみが、いろいろな悲しいエピソードとともに描かれています。

現在、パウエル街では毎年8月に「Powell Festival」が開かれています。初めて行った時はなぜこんな治安の悪い場所でわざわざ日本人の祭りをするのだろうと思っていましたが、このパウエル街の背景を知った時、そこにある意義を理解することができました。

僕はバンクーバーにパウエル街のような日本人街がいつの日かまた作られることを願っています。


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1 月 04

1941年12月7日、日本軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃が行われました。

何十年もかけて築かれてきたパウエル街は、この日から急速に崩壊へと向かいます。多数の日本人が危険人物として逮捕され、日本語新聞は発行停止処分、日本語学校も閉鎖させられました。

カナダ政府はBC州の全日系人(カナダ国籍を持つ日系カナダ人を含む)を海岸線から100マイル以上離れた、荒れ果てた内陸部の収容所に追放します。日本人の血が流れる者は全て「敵国人」と見なされ強制移動が命じられたのです。その際、男女は別々の収容所に送られました。つまり、同じ家族でも別の収容所に入れられ、家族がバラバラにされてしまったのです。

全日系人は住居や車など全ての財産をカナダ政府によって差し押さえられ、売却・処分されました。この時、日系人は長年かかって築いたすべてのものを一瞬にしてカナダ政府に奪われてしまったのです。

※ちなみに、同じ敵国人であるはずのドイツ人やイタリア人は強制収容や財産没収の対象にはなりませんでした。

戦時中の日系人の強制収容はカナダ以外の各国でも起こっていましたが、家族がバラバラにされた点でカナダのものはとてもひどかったのではないかと思います。

つづく。


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1 月 03

かつてバンクーバーには日本人街がありました。Powell Street周辺、チャイナタウンの北側に位置する今は治安が悪くあまり近付きたくないエリアは、当時は食堂や豆腐屋などの多くの日系商店、そして日本人学校、旅館、病院、教会、新聞社などが立ち並び、とても賑やかな街だったそうです。1940年頃のパウエル街の日系人口は8400人にも及んでいたとか。

それがなぜ廃れて今となってはホームレスや麻薬中毒者が蔓延るような地域に変貌してしまったのでしょうか?

日本からバンクーバーへ最初の移民たちがやってきたのは19世紀後半です。1887年にバンクーバー・横浜間の太平洋航路就航を契機として日加貿易が開始されると共にブリティッシュ・コロンビア州へ最初の日系移民が入って来ることとなりました。ちなみに、それよりも10年前の1877年に永野万蔵という名の19歳の若者が英国船に乗船、ニューウェストミンスターへ上陸し密入国したのが日系移民の第一号なのだそうです。

当時、緑茶と絹が日本からの主要な輸入品で、温州ミカンの輸入も長い歴史を誇り1891年に最初に日本から出荷された温州ミカンがバンクーバーに陸揚げされたそうです。逆にカナダからの輸出品は木材、石炭、小麦及び海産物で、それらの産物は現在でも日本に対するカナダの主要な輸出品となっています。

日系移民たちは人種差別や規制に耐えながらも着実に数を増やし団結を深め、第二次世界大戦勃発前の1941年にはなんと23,000人の日系カナダ人がBC州にいたそうです。当時のBC州の人口は数十万人程度であったことを考えると、かなりの割合だったことがわかります(現在のBC州の人口は440万人で日系カナダ人は2万人)。

しかし1941年12月7日(カナダ時間)、日本軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃が日系人達そしてパウエル日本人街を窮地に追いやります。(つづく)


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