1 月 16

皆さん、新年あけましておめでとうございます。

2001年に初めてカナダに来て、途中でビザの関係などで日本に戻った期間を除くとかれこれ9年程カナダに住みました。大人(20歳ぐらい?)になってからの時間はすでに全然カナダのほうが長くなっていることになります。

12年前、とあるITベンチャー企業にてソフトウェア開発の仕事をしていた僕は、楽しく有意義に仕事をしていた反面、疲れ果てていました。月100時間を超える残業、頑張れば頑張るほどより一層与えられる仕事、あまり社交的ではなかった自分は人間関係もうまく築けない局面もあり・・・。カナダという国に来たのはのんびりあまりハードでない仕事をし、たまに旅行をしたりスノーボードをしたり、昼間っから酒を飲んだり、そんな気楽でマイペースな生活ができたらなぁという思いからでした。

10年以上経って今の状況を考えてみると、まさにその時の自分が求めていた生活を自分ができていることに気付きました。

ここ2年の間働いているITコンサルティングファームの仕事は北米の大企業のクライアント相手の大きなプロジェクトが多く、とてもやりがいがあり面白い仕事であると同時に、過去2年間で10時間程度しか残業をしておらずむしろ定時前に帰れることが多い割にそれなりに高い報酬を得ることができ、比較的自由に休暇も取れ、10年前の自分からすればまさに理想的な仕事なのだと思います。

そして同僚たちもやるべきことはやるがそれ以上はやらず、家族や自分の時間を大事にし、とても有意義で充実した生活を過ごしていると思います。このあたりはいわゆるカナダ的価値観で良しとされているところだと思います。そして僕はそれが好きでこの10年間カナダで過ごしてきたと思っています。

しかし、ここにきてそれが少し物足りなくなってきました。

確かに10年前に求めていたものは今ここに手にしていて、それはとても素晴らしいものだと思っています。

しかし、いつの頃か、

「10年前に求めていたものは今求めているものと違うのではないか」

そう思うようになりました。

また、僕はカナダ生まれでもなくカナダのカレッジを出ているわけでもないため、大きなプロジェクトでマネージメントのポジションに就くことがなかなかできません。会社は勧めてくれてもクライアントが認めてくれなかったりすることもあります。せめて経験があればと思うのですが、その経験を得る機会を得ることがなかなか難しいわけです。

カナダの大学に行くかな・・・。そしてIT Managementを学んでDegreeを取ってみるか。そんなこともちょっと考えていました。

しかしそんなタイミングで、縁があり東南アジアのとある日系企業からIT部門のマネージャーのポジションのオファーをもらいました。

過去の僕の人生におけるいくつかの局面での「直観」について前回の記事で書きましたが、ここでまたそれが働きました。「この仕事をやりたい!」と思いました。

この企業の社内公用語は日本語と英語で、ここ数年は英語だけだったため自分が本来一番得意である日本語が使えず、それって実は物凄くもったいことだなと考えていました。しかしこの仕事では2つの言葉が有効に使えることになります。

そして前回も話したSteve Jobsの”Connecting dots”の話ですが、今回まさに僕がたどってきたそれぞれの点が全てつながることになったのではないかと思っています。

ということで、2月よりバンコクにて新しい仕事を始めることになりました。ITマネジメントの経験を積んでいずれはカナダに戻りますが、しばらくの間さようならカナダ・・・。

アパートの引き払いや車の売却、自分の会社の税務処理、自分自身の税務処理などいろいろやることはまだありますが、残り半月で向こうでは決してできなくなるスノーボードを行けるだけ行きたいと思うので、滑りに行く際はぜひ誘ってください!


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5 月 21

僕の最近の日課の一つは、バンクーバーのコンドやアパートの値段を見ることです。ピーク時に比べ20%近く下がっているみたいです。

イーストサイドを除くバンクーバー市内は僕のような今なにも不動産を持っていないニューバイヤーにとって手の届かない範囲なので、僕はBurnaby, Coquitlam, New Westminsterなどの橋を渡らずにいける(フレイザーリバーを渡ってVancouverに入るための橋はラッシュ時に渋滞するので)周辺都市で探しています。

CoquitlamやNew Westでだとかなり低い価格帯で築30年くらいの1BRのアパートが見つかります。ただそれでも、同じ値段で日本の地元である横須賀なら新築の3LDKマンションが買えちゃうくらいの値段です。

日本の不動産って僕たちが子供の頃は世界一高かったはずだけど、この10年20年で位でずいぶんと安くなってしまったんですね。っていうか、バンクーバーは高すぎだ。

ところでこのバンクーバーの不動産価格、一体この先はどうなるんでしょう?

いろいろ調べてみると不動産価格はピーク時に比べ20%程度下がっている上に金利が下がったことでモーゲージを組みやすくなり、今年4月の販売戸数はだいぶ持ち直したみたいです。

でも、やっぱりもうしばらく様子をみてみることに決めました。っていうか、New WestやBurnabyで築30年のアパートにそんな大金使う気がどうしてもしないです。

っていうか、おまえ失業中だろって声が聞こえてきそうですが・・・w。


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4 月 25

自分もそうですが、周りでもしょっちゅうレイオフの話を聞くほどの不況のカナダ、今の失業率っていったいどれくらいなのでしょう?

4月9日にStatistics Canadaが発表した2009年3月の失業率は、カナダ全土で8.0%、BC州は7.4%です。失業率8%って先進国にしてはかなり高い数字です(G7ではアメリカの8.5%に次いで2番目に高い)。12人に1人が失業していることになります。

ちなみに、日本の2009年3月の失業率は4.6%だそうです(G7では圧倒的に1番低い)。2007年に3.9%まで下がっていたことを考えればかなり上がっているのでしょうが、カナダと比べればだいぶマシです。なのに、日本のほうが悲壮感が漂っていると思えるのは気のせいなのでしょうか?2週間帰っていただけですが、人の話、テレビの話題、どれもとにかく不況というものが強調されていた気がします。

でも確かに、今の自分の失業している状況が日本で起こっていたら、僕もこんなに気楽にいられなかったかもしれません。親の目、親戚の目、近所のおばさん達の目、いわゆる「世間体」ってやつが、ただでさえつらい状況をさらに追い討ちして苦しめるのかもしれません。

そんなもののないカナダだからこんな気楽でいられるのだとしたら、やっぱりここが自分の住む場所なのかななんて思ったりした今日この頃です。あ、でももちろん、失業手当が期限付きなのもわかっているし、楽観ばかりせずちゃんと先のことも計算高く考えてますのでご安心をw


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4 月 24

僕はNOKIAを最初は自分から辞めるつもりでいたものの、幸運にも?最終的にクビになったので失業手当は間違いなくもらえる状況だったのですが、申請してから2ヶ月以上も審査が終わらず、当然お金も振り込まれず、実はちょっと心配していました。

昨日、日本から帰ったばかりでカナダドルの現金が全くなかったのでATMでお金を下ろしたとき、収入のないはずの僕の口座残高がなぜか結構増えていたので久しぶりにService Canadaのアカウントをチェックしたら、振り込まれていました失業手当!しかも7週間分まとめて!

基本的に失業手当だけでは生活費としては赤字(家賃と車のローンとユーティリティー払ったらほとんど残らない)なので、まとめて入ったからといって喜んでもまったくしょうがないのですが、ちゃんと手当がもらえたことでとりあえずひと安心。

そして、給付期間は自分でおおざっぱに計算してみたときは21~22週間だったのですが、どういうわけか28週間もらえるみたいです。給付は2月22日の週(第9週)から開始したことになっているので、第37週になる9月の始めの週までもらえることになります。嬉しい誤算です。


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1 月 17

最近、バンクーバーのダウンタウンに行くたびに車を停めることができず、ストレスを感じます。

僕がこっちで車に乗るようになったのは4年前。たった4年前の当時と比べても、車の量は圧倒的に増えたと感じています。昔からいる人に聞けば、やはりもっともっと車は少なく、運転によるストレスは全然少なかったそうです。

カナダの人口増加率はG8中トップだそうです。その理由はやはり、移民の受け入れです。

過去5年間でカナダは120万人の移民受け入れをしました(僕もその一人になります)。そして、その移民のうちかなりの数がバンクーバー周辺に移住しているみたいです。

国勢調査によると、カナダの人口は過去5年間で5.4パーセント増に当たる160万人が増加したそうです。(ちなみに日本の同時期の人口増加率はほぼ0パーセント)

そして、カナダは今後も移民受け入れを積極的に行います。また、BC州(おもにバンクーバー周辺)ではオリンピックに向けワークパーミットも大量に発行しています。

オリンピックが終わればバンクーバーは知名度が増し、さらに多くの移民たちがバンクーバー周辺に移住してくると考えられています。10年後にはバンクーバーは500万人都市になっているかもしれません。(現在バンクーバーとその周辺都市全体の人口は200万人程度)

カナダが移民政策を取る以上、人口増加は仕方のないことですが(自分も移民してきたわけだしカナダという国自体がそれで発展しているので)、街がそれにちゃんと対応してくれていないので先が不安になります。フレイザーリバーにかかるファルコンブリッジや、リッチモンドを走る予定のスカイトレインも予算が取れずに工事が停滞しているみたいだし・・・。

やっぱ早いうちに家を買っちゃった方がいいのだろうか・・・。もっと不動産価格下がらないかなぁ・・・。


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1 月 06

終戦後、カナダ各地で強制収用されていた日系人は、日本へ帰国するかロッキー山脈の東へと移動するかの選択を迫られました。1947年にこの強制送還命令は取り消されますが、すでに財産を没収された多くの日系人達はパウエル街を去った後で、その後パウエル街に戻った日系人はわずかでした。

その後、パウエル街はだんだんさびれていき、現在に至ります。そして、その後カナダでパウエル街のような大きな日本人街が作られることはありませんでした。

カナダでのこの悲しい日系人達の歴史は、第二次大戦時に少女時代を過ごした日系カナダ人二世Joy Kogawaさんの著書”Obasan”に描かれています。この本は僕が初めて最後まで読んだカナダの書籍です。

この本の中にある桃太郎についての記述が印象的です。昔話「MOMOTARO」は日本の昔話ではなく、カナダの昔話なのだという場面があります。「私たちはカナディアン、だから私たちがすること話すことはカナディアン」なのだそうです。

そう、彼らはカナダ人なのです。カナダで生まれカナダ人として育ったのに日本人の血を引いていることで敵国人として差別されるというどうしようもない悲しみが、いろいろな悲しいエピソードとともに描かれています。

現在、パウエル街では毎年8月に「Powell Festival」が開かれています。初めて行った時はなぜこんな治安の悪い場所でわざわざ日本人の祭りをするのだろうと思っていましたが、このパウエル街の背景を知った時、そこにある意義を理解することができました。

僕はバンクーバーにパウエル街のような日本人街がいつの日かまた作られることを願っています。


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1 月 04

1941年12月7日、日本軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃が行われました。

何十年もかけて築かれてきたパウエル街は、この日から急速に崩壊へと向かいます。多数の日本人が危険人物として逮捕され、日本語新聞は発行停止処分、日本語学校も閉鎖させられました。

カナダ政府はBC州の全日系人(カナダ国籍を持つ日系カナダ人を含む)を海岸線から100マイル以上離れた、荒れ果てた内陸部の収容所に追放します。日本人の血が流れる者は全て「敵国人」と見なされ強制移動が命じられたのです。その際、男女は別々の収容所に送られました。つまり、同じ家族でも別の収容所に入れられ、家族がバラバラにされてしまったのです。

全日系人は住居や車など全ての財産をカナダ政府によって差し押さえられ、売却・処分されました。この時、日系人は長年かかって築いたすべてのものを一瞬にしてカナダ政府に奪われてしまったのです。

※ちなみに、同じ敵国人であるはずのドイツ人やイタリア人は強制収容や財産没収の対象にはなりませんでした。

戦時中の日系人の強制収容はカナダ以外の各国でも起こっていましたが、家族がバラバラにされた点でカナダのものはとてもひどかったのではないかと思います。

つづく。


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1 月 03

かつてバンクーバーには日本人街がありました。Powell Street周辺、チャイナタウンの北側に位置する今は治安が悪くあまり近付きたくないエリアは、当時は食堂や豆腐屋などの多くの日系商店、そして日本人学校、旅館、病院、教会、新聞社などが立ち並び、とても賑やかな街だったそうです。1940年頃のパウエル街の日系人口は8400人にも及んでいたとか。

それがなぜ廃れて今となってはホームレスや麻薬中毒者が蔓延るような地域に変貌してしまったのでしょうか?

日本からバンクーバーへ最初の移民たちがやってきたのは19世紀後半です。1887年にバンクーバー・横浜間の太平洋航路就航を契機として日加貿易が開始されると共にブリティッシュ・コロンビア州へ最初の日系移民が入って来ることとなりました。ちなみに、それよりも10年前の1877年に永野万蔵という名の19歳の若者が英国船に乗船、ニューウェストミンスターへ上陸し密入国したのが日系移民の第一号なのだそうです。

当時、緑茶と絹が日本からの主要な輸入品で、温州ミカンの輸入も長い歴史を誇り1891年に最初に日本から出荷された温州ミカンがバンクーバーに陸揚げされたそうです。逆にカナダからの輸出品は木材、石炭、小麦及び海産物で、それらの産物は現在でも日本に対するカナダの主要な輸出品となっています。

日系移民たちは人種差別や規制に耐えながらも着実に数を増やし団結を深め、第二次世界大戦勃発前の1941年にはなんと23,000人の日系カナダ人がBC州にいたそうです。当時のBC州の人口は数十万人程度であったことを考えると、かなりの割合だったことがわかります(現在のBC州の人口は440万人で日系カナダ人は2万人)。

しかし1941年12月7日(カナダ時間)、日本軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃が日系人達そしてパウエル日本人街を窮地に追いやります。(つづく)


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