12 月 29

またまたすっごく久しぶりの更新ですね。。。

今まで、結構自分の「直感」に従って生きてきました。僕は多分たいした能力のない人間だと思うのですが、こんな適当な生き方で(例えばレイオフになって失業手当で遊んで暮らせると喜んだり、仕事が暇だけど有給が残ってないからといって会社を休職して2ヶ月旅に出たり)何とかやってこれているのは、直感に従った結果うまく世の中の流れに乗れている部分があるからなのではないかと思っています。

今回ちょっと皆さんに伝えたい事があり、そのためにこの「直感」についてお話したいと思いました。

第1の直感:

高校3年の時、文系だった僕は普通に大学は文系の学部に進学しようと思っていましたが、「これからはコンピューターだろ」と言う直感が働き、数学の成績がどうしようもなかったため理系への転向は難しく(ていうか勉強も疲れたしw)、コンピュータの専門学校に進学しました。最初はコンピュータグラフィックス(CG)をやりたいとか言っていましたが、全く適性がないことを知りコンピュータプログラミングを専攻しました。

第2の直感:

社会人になって1年がたったとき、当時は商社のシステム部門でWindowsの業務システムの開発に携わっていましたが、「これからはWEBだろ」という直感が働きました。が、上司に相談してもインターネットがやっと普及しだした当時はWEBシステムの開発など新しすぎてやらせてもらえず、それではとWEBの開発を専門にやっていた赤坂のベンチャー企業に転職しました。

第3の直感:

社会人を4年ほど経験した頃、ITの技術文書のほとんどが英語で書かれている事実から、「これからは英語だろ」と言う直感で、そのとき結構がんばって楽しく仕事をしていた会社を辞めてカナダに来ました。まぁ英語の習得以外に好きなスノーボードやってあとは適当にのんびりしたいと言うのもありましたが。ワーキングホリデーという制度を使って来ましたが、一度も働かずにホリデーホリデーで終わりました。

第4の直感:

カナダに来て3日位のとき、「俺はここに住むだろ」という直感が働きました。その後就労ビザを経て永住権を取得しました。

第5の直感:

それから10年、そういう人生の転機となるような直感は現れませんでしたが、今回のアジア旅行でまた感じました。「これからはアジアだろ」とw。これからではなく既にそうなのでしょうが、やっぱりアジアは北米とはエネルギーが違います。アジア面白い!何かアジアでやりたい!と思いました。

ではアジアで何をするか?それは次回また書きます。実はここで今までの直感に従った結果がつながるのです。

スティーブ・ジョブスの”Connecting dots”の話が頭に浮かびます。今やっている無意味に思える一つ一つの事(点:dot)が将来つながるのだ、でもそれはそのときにはわからず後で振り返って始めて気付く。だから将来その点が繋がる事を信じて今やっていることをがんばりましょう、と言うお話です多分。


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1 月 15

カナダ人の知り合いが、アメリカの企業に就職したなんて話をよく聞きます。

でも、アメリカってワークビザ(例えばH1Bビザ)を取得するのが今はとっても難しいはずなんです。(一昔前は永住権を含め比較的簡単だったみたいだけど)

カナダ人って、そんなに優秀な人材がいるんでしょうか?うーん、もちろんいるのでしょうが、普通に考えて僕は日本人の方が優秀な人(専門教育を受け実務経験のあるプロフェッショナル達)が全然多い気がします。言葉の問題を考えても人口も日本人の方が全然多いし。それでもカナダ人の方が多くアメリカに行ってる気がするのはなぜでしょう?

調べてみたら、アメリカのワークビザにはカナダ国籍を持っている人向けの短期間の就労ビザ(TNビザ)というものがあるみたいで、これはかなり簡単におりるみたいです。でも、これはあくまで短期間の就労ビザなので、期間も短いし、H1Bビザのようにそのあと永住権(グリーンカード)の申請などはできないみたいです。

このTNビザ、僕たちカナダ移民(カナダ国籍を持っていないが永住権を持っている)たちには出ないんでしょうか?

調べてみましたがカナダ国籍がないとやっぱりダメみたいです・・・。アメリカで一度働いてみたいなーと思っていただけに、残念。


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1 月 10

Nokiaに入ってかれこれ7ヶ月がたちました。ノキアの僕の所属するデパートメントには70人位の人たちがいるのですが、仕事で関わりがあるなしに関わらず、ほとんど僕の名前を覚えてくれてます。

逆に僕はどうかというと、あまり仕事でかかわらない人だといまだに名前を覚えることができていません。顔はわかるんだけどなぁ・・・。70人のうちBobが4-5人いたり、MikeとかMikkaとかMikkoとかJyuryとかJyukiとか(この辺はフィンランドとか北欧系の名前)似たような名前が多くて、どれがどいつかまじでややこしいです。

Shinichiなんて彼らからしたらユニークだから逆に覚えやすいんだろうなー。そう考えると、比較的発音しやすい日本人の名前の場合イングリッシュネームなんて必要ないのかな、むしろ本当の日本名を使った方がメリットが大きいのではと思えてきます。韓国人とか中国人の名前の場合は似通ってたり発音が困難な名前が多いので必要だと思うけど。

※あまり日本人で英語名持ってる人を見かけないかもしれませんが、僕らより上の世代(バブルとかそれ以前の世代かな?)の日本人移民の人たちはかなりの人が持ってたりするんです。流行ってたんでしょうか?

でも確かに英語名を使うと便利な場面は多々あります。例えばレストランの予約の時とか、ポーカーで席を取ってもらう時とか、毎回スペル言うのがめんどくさいので英語名を使っちゃいます(僕は「しん」に英語的に発音が近い「Shane(シェイン)」をよく使ってます)。あとは二度と会わないだろうなって人にも面倒なときは英語名を言っちゃいます。

自分の名前をちゃんと発音してもらえない人とかはつらいかもしれないですねー。Shinichiの場合は大体ちゃんと「シニチ」って発音してくれますが、あるとき就職活動中に、アプライした会社の人事担当者から電話があったとき「シニンスキーさんいますか?」って言われたことがありますw。ロシア人じゃないんですけど・・・w。


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1 月 06

終戦後、カナダ各地で強制収用されていた日系人は、日本へ帰国するかロッキー山脈の東へと移動するかの選択を迫られました。1947年にこの強制送還命令は取り消されますが、すでに財産を没収された多くの日系人達はパウエル街を去った後で、その後パウエル街に戻った日系人はわずかでした。

その後、パウエル街はだんだんさびれていき、現在に至ります。そして、その後カナダでパウエル街のような大きな日本人街が作られることはありませんでした。

カナダでのこの悲しい日系人達の歴史は、第二次大戦時に少女時代を過ごした日系カナダ人二世Joy Kogawaさんの著書”Obasan”に描かれています。この本は僕が初めて最後まで読んだカナダの書籍です。

この本の中にある桃太郎についての記述が印象的です。昔話「MOMOTARO」は日本の昔話ではなく、カナダの昔話なのだという場面があります。「私たちはカナディアン、だから私たちがすること話すことはカナディアン」なのだそうです。

そう、彼らはカナダ人なのです。カナダで生まれカナダ人として育ったのに日本人の血を引いていることで敵国人として差別されるというどうしようもない悲しみが、いろいろな悲しいエピソードとともに描かれています。

現在、パウエル街では毎年8月に「Powell Festival」が開かれています。初めて行った時はなぜこんな治安の悪い場所でわざわざ日本人の祭りをするのだろうと思っていましたが、このパウエル街の背景を知った時、そこにある意義を理解することができました。

僕はバンクーバーにパウエル街のような日本人街がいつの日かまた作られることを願っています。


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1 月 04

1941年12月7日、日本軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃が行われました。

何十年もかけて築かれてきたパウエル街は、この日から急速に崩壊へと向かいます。多数の日本人が危険人物として逮捕され、日本語新聞は発行停止処分、日本語学校も閉鎖させられました。

カナダ政府はBC州の全日系人(カナダ国籍を持つ日系カナダ人を含む)を海岸線から100マイル以上離れた、荒れ果てた内陸部の収容所に追放します。日本人の血が流れる者は全て「敵国人」と見なされ強制移動が命じられたのです。その際、男女は別々の収容所に送られました。つまり、同じ家族でも別の収容所に入れられ、家族がバラバラにされてしまったのです。

全日系人は住居や車など全ての財産をカナダ政府によって差し押さえられ、売却・処分されました。この時、日系人は長年かかって築いたすべてのものを一瞬にしてカナダ政府に奪われてしまったのです。

※ちなみに、同じ敵国人であるはずのドイツ人やイタリア人は強制収容や財産没収の対象にはなりませんでした。

戦時中の日系人の強制収容はカナダ以外の各国でも起こっていましたが、家族がバラバラにされた点でカナダのものはとてもひどかったのではないかと思います。

つづく。


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1 月 03

かつてバンクーバーには日本人街がありました。Powell Street周辺、チャイナタウンの北側に位置する今は治安が悪くあまり近付きたくないエリアは、当時は食堂や豆腐屋などの多くの日系商店、そして日本人学校、旅館、病院、教会、新聞社などが立ち並び、とても賑やかな街だったそうです。1940年頃のパウエル街の日系人口は8400人にも及んでいたとか。

それがなぜ廃れて今となってはホームレスや麻薬中毒者が蔓延るような地域に変貌してしまったのでしょうか?

日本からバンクーバーへ最初の移民たちがやってきたのは19世紀後半です。1887年にバンクーバー・横浜間の太平洋航路就航を契機として日加貿易が開始されると共にブリティッシュ・コロンビア州へ最初の日系移民が入って来ることとなりました。ちなみに、それよりも10年前の1877年に永野万蔵という名の19歳の若者が英国船に乗船、ニューウェストミンスターへ上陸し密入国したのが日系移民の第一号なのだそうです。

当時、緑茶と絹が日本からの主要な輸入品で、温州ミカンの輸入も長い歴史を誇り1891年に最初に日本から出荷された温州ミカンがバンクーバーに陸揚げされたそうです。逆にカナダからの輸出品は木材、石炭、小麦及び海産物で、それらの産物は現在でも日本に対するカナダの主要な輸出品となっています。

日系移民たちは人種差別や規制に耐えながらも着実に数を増やし団結を深め、第二次世界大戦勃発前の1941年にはなんと23,000人の日系カナダ人がBC州にいたそうです。当時のBC州の人口は数十万人程度であったことを考えると、かなりの割合だったことがわかります(現在のBC州の人口は440万人で日系カナダ人は2万人)。

しかし1941年12月7日(カナダ時間)、日本軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃が日系人達そしてパウエル日本人街を窮地に追いやります。(つづく)


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11 月 11

2009年1月から、カナダでSIN(社会保険番号)を持っている人はTax-Free Investment Savings Account (TFSA)の口座が開けるようになります。

貯蓄率がとっても低いカナダ人(収入より支出の方が多いw)に少しでも貯蓄をさせようという政策かと思うのですが、この口座で運用した利益に関してはなんと税金がかかりません。

この口座に入れられる額は初年度は最高$5,000まで。毎年$5,000ずつ上限が増えていくので、10年後には$50,000まで入れられるようになります。毎年上限まで入れずに10年後にいきなり$50,000入れることも可能です。

運用方法はMutual Fund(投資信託)もOK、ただのGIC(定期預金)ももちろんOK、RSPにも使えます。つまり、”絶対作った方が得”です。

もしTFSAを作るのなら、ING Directがお勧めです。来年1月に先駆けて今INGでTFSAを作ると、年末までの利子が2倍になります!この分に関してはTAX FREEではないけど、”ただの普通預金でなんと5.4%の利子”が付いちゃいます!

ちなみにING Direct Canadaの親会社INGはオランダの会社で、グループで銀行や保険会社などを持つ世界有数の大企業です。一時経営が危ぶまれていたらしいですが、2008年10月にオランダ政府から公的資金100億ユーロ(約1.3兆円)を受けていてING Direct Canadaもその資金の一部を与えられたのでまず潰れることはないはずです(公的資金が入った時点で国が潰さないと決めたようなもの)。

ING Directで口座を開きたいという方、今僕の紹介でINGで口座を作るとボーナスキャッシュ(お互い$25ずつ)がもらえますw。なので今すぐ僕に連絡してください。


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6 月 17

先週の月曜日からノキアでの仕事が始まりました。

僕の上司になるPatriciaというマネージャーが午前中は忙しいと言う事で、初日は2時に出勤する事になりました。ノキアはこの辺りではVancouver/Burnaby/Richmondにオフィスがありますが、僕の所属はRichmond。ダウンタウンの自宅から車で30分かかるけど、来月からRichmond近くに引っ越す事が決まったのでそしたら通勤時間は12~13分になります。

とりあえず午後に行ってみると、Patriciaは忙しすぎて僕はしばらく放置されます。そんな中Richardという研究室のリーダーがオフィス内をいろいろ案内してくれ、ラボでやってる事とかを一通り説明してくれました。

5時になってそろそろ帰れるのかなと思ったらPatriciaがやっと時間が空いたらしく、そこから僕のこれからのスケジュールを聞かされます。この人、とにかく一方的に喋りまくります。2時間後にようやく開放され、帰宅できました。この週はとりあえずラボで作業のフローを学んで、ラボの人たちと仲良くなって終わった感じです。

そして今日からBurnabyのオフィスで僕の実際の業務となるWEB開発のトレーニングが始まりました。

そこでちょっとデジャブ体験。

Burnaby Fraser Foreshore ParkBurnaby Fraser Foreshore Park多分2年位前かなー。Burnabyを車で走っている時に道に迷い、川沿いにある公園(Burnaby Fraser Foreshore Park)に偶然辿り着きました。ちょうど夕暮れ時で天気も良く気持ちよかったので当時の彼女とKai(一緒に生活していた犬)と一緒に散歩した事を思い出しました。

Nokia Office BurnabyNokia Office BurnabyNokiaのBurnabyオフィスはそのすぐ隣にありました。そういえば散歩してる時にノキアのオフィスが見えて、こんなところに会社があるんだなーなんて言ってたような気がします。

まぁ、そんないわく付き?のオフィスも1週間トレーニングをするだけなんですが、Richmondオフィスよりも新しくて大きくて(400人働いてるらしい)綺麗で、カフェテリアもパティオがあったりして環境がとってもいいんです。Richmondオフィスも川沿いにトレイルがあって決して悪い環境ではないんですが、なんとかしてこっちに残れたらいいのになーと思ったりしてます。


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12 月 06

カナダへの移民審査の最終段階、パスポートリクエストのレターを受け取り、日本からパスポートを送るのはいろんな事情で避けたかったので、バッファローのカナダ領事館に直接もって行くことにしました。

そして、11月27日午後3時頃にバッファローの空港に到着しました。

まずいきなり大きな問題に直面。飛行機で書類を何気なく読んでいたら、「パスポートを持ってくる場合、火曜日もしくは木曜日の朝8時から11時の間に・・・」。

やばい、「火曜日から木曜日の間に」と勘違いしてたぞ!

今回、次の週の月曜日から日本で仕事が始まる予定だったので、たったの4日間しか滞在できず、バッファローに2日、バンクーバーに2日の予定でチケットを取っていました。

なので、バッファローには初日の27日は夕方着なので何もできないとして、28日の水曜日しか時間がないことになります。もし火曜と木曜しか受け付けてもらえないとすると、木曜日の朝出発のチケットをキャンセルしなくてはならず、そうなるとそのあとのチケットも全て自動的にキャンセルされてしまう羽目に・・・。

とりあえず、この日27日は火曜日だったので、もう遅いとわかりつつもカナダ領事館に行って事情を話してみることに。

空港からは#204のバスで$1.75でダウンタウンに行くことができました。ドライバーにカナダ領事館のあるHSBCセンターに着いたら教えてくれといっておいたので、着いたら「降りろ」と言ってくれました。

HSBCセンターのエレベーターに乗ろうとすると、怖そうな黒人のセキュリティーが、「何のご用ですか?」。

「カナダ領事館に移民の件で来たんだけど」と言うと、「今日はもう閉まりました。明日の朝8時から11時の間に来てください。」

「ちょっと事情があって今日の8時から11時の間にこれなかったんだけど、話だけでもいいのでしたいので上に生かせてくれないか?」と聞いたけど、「今日はもう閉まりました。明日の朝8時から11時の間に来てください。」と怖い顔で一方的に・・・。

埒が明かないので翌日の朝8時に来ることに。不安だなぁ・・・。

バッファローの街は寒くとても風が強いです。夜に移民の書類用の写真を撮りに隣町まで出かけたとき(バッファロー唯一の写真が取れる店のカメラが壊れていたのでw)は雪が降り吹雪みたいになっていました。

Baffalo, NY
Baffalo, NY
Baffalo, NY
Baffalo, NY
バッファローの街の写真です。平日の夕方ですがすでに寂れている感じがします。

Buffalo, NY
Tim Hortons in Buffalo
夜になると、人がもっと減ります。まだ6時頃なのに。きっと治安は悪いでしょう。カナダ国境から近いバッファローにティムホートンズを発見!


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12 月 02

27日に出発して以来ご無沙汰しています。

途中、何度もいろんなトラブルに見舞われましたが、何とか無事にすべて済ませて帰ってくることができました。

バンクーバーの皆に内緒の突然のバンクーバー訪問も、予想通り皆びっくりしてくれて楽しかったです。ヒヒヒ。それにしても、この2週間足らずで、バンクーバー→東京、東京→デトロイト→バッファロー、バッファロー→シアトル→バンクーバー、バンクーバー→シアトル→東京と、とにかくすごい距離を移動しました。2万マイルは軽くたまったと思いますw。

本日(日曜)午後9時に家に帰ってきました。そして明日の朝9時30分から新しい仕事が始まります。っていうか、ハードスケジュールでの疲れや時差とかもあるしさすがにキツイです。

これでようやく日本で落ち着いて生活ができます。まだほとんどの人と会えていないので、都合のつくときに会ってください!


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