かつて存在したバンクーバーの日本人街「パウエル街」その2 風邪ひいた・・・
1 月 06

終戦後、カナダ各地で強制収用されていた日系人は、日本へ帰国するかロッキー山脈の東へと移動するかの選択を迫られました。1947年にこの強制送還命令は取り消されますが、すでに財産を没収された多くの日系人達はパウエル街を去った後で、その後パウエル街に戻った日系人はわずかでした。

その後、パウエル街はだんだんさびれていき、現在に至ります。そして、その後カナダでパウエル街のような大きな日本人街が作られることはありませんでした。

カナダでのこの悲しい日系人達の歴史は、第二次大戦時に少女時代を過ごした日系カナダ人二世Joy Kogawaさんの著書”Obasan”に描かれています。この本は僕が初めて最後まで読んだカナダの書籍です。

この本の中にある桃太郎についての記述が印象的です。昔話「MOMOTARO」は日本の昔話ではなく、カナダの昔話なのだという場面があります。「私たちはカナディアン、だから私たちがすること話すことはカナディアン」なのだそうです。

そう、彼らはカナダ人なのです。カナダで生まれカナダ人として育ったのに日本人の血を引いていることで敵国人として差別されるというどうしようもない悲しみが、いろいろな悲しいエピソードとともに描かれています。

現在、パウエル街では毎年8月に「Powell Festival」が開かれています。初めて行った時はなぜこんな治安の悪い場所でわざわざ日本人の祭りをするのだろうと思っていましたが、このパウエル街の背景を知った時、そこにある意義を理解することができました。

僕はバンクーバーにパウエル街のような日本人街がいつの日かまた作られることを願っています。


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3 Responses to “かつて存在したバンクーバーの日本人街「パウエル街」その3”

  1. 1. mom Says:

    はじめまして。私もカナダに住んでいるのでこの歴史はよくカナダ人の方から聞かされました。 カナダだけでなく、南北両方アメリカ大陸全土とイギリスの連邦国(オーストラリアやカナダなど)でも日系人が収容され、敵国であるドイツ/イタリア系白人は収容は免れましたよね。確か日本人の血を1/16まで、ひいている人が収容の対象者になったそうです。 そこには白人至上主義という当時では珍しくない差別感があったと思います。戦後、人種差別に対する意識が高まり80年代になり、ようやく収容された日系人が声をあげることができたそうです。収容後もスッカラカンで酷い差別があったそうですが、収容中も収容所の生活の苦しさから逃げ出せば射殺がまっているそうで、虐殺こそないもののユダヤ人の収容とさして代わりがなかったのだと思います。
    痛ましい歴史ですが、私もまた、いつの日かパウェル街のような銭湯や理髪店、旅館などが沢山ある日本人街ができてくれたらなーと思っております。

  2. 2. しん Says:

    momさん、コメントありがとうございます。

    先日New Denderという町のカナダで現存する唯一の日系人収容所の跡地(当時の建物等が今も残っています)を訪ねる機会がありました。

    アパートのベッドルームくらいの小屋に2家族が一緒に住んだりしていた様子が、当時の姿をできるだけ残して存在していました。

    きっと世界各地でこんな悲劇はあったのだと思います。

  3. 3. Shingo Says:

    パウエル街に興味を持っている方がまだいると知って非常にうれしいです。私もバンクーバー在住中に数え切れないほどパウエル街を訪れました。今度、カナダ日本人街に興味がある人々でパウエル街研究会を開きたいと考えています。お互いに知っていることや資料を分かち合えればと思っています。
    興味のある方はこちらまで。
    cunuks80@hotmail.com